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社長ブログ

家売る男 ~棟梁は霊媒師~

もう10年以上前の話だが、とある古家を和風モダンにリノベーションしたいという若いご夫婦の対応をしたことがある。お会いした時から2人ともとても気さくで、私を信頼してくれた。

お2人にお勧めの棟梁がいたので、すぐに連絡を取った。昔ながらの昭和感溢れる棟梁にはかなりのこだわりがあり、杉の木材に作曲家バッハの音楽を聴かせて熟成させることで、木材を乾燥機にかけて死なせることなく、自然な状態を保たせるという。ベニヤ板やコンパネなどの、薄く切った合板を有害物質(本人曰く)が含まれた接着剤で貼り合わせたような材木は一切使わない「健康住宅」なのだそうだ。

確かに、新築の状態で室内に入ってもすがすがしい杉の香りが満ち溢れており、木材が生きているという棟梁の言葉の意味が、無頓着な私でも良く分かった。

棟梁の別の顔とは

さて、私の書きたかったことは、彼が建てる家がどれ程素晴らしいかということではない。

この棟梁が、本業とは別の顔を持ち合わせているということだ。

それが何かというと、知る人ぞ知る霊媒師である。それを聞くと大抵の人は怪しむであろうし、本人もそれと本業を混同させないように努めている。しかし、見たり感じたりすることは否定できないようで、私が待ち合わせの現場に着くやいなや、「誰を一緒に連れて来たと?」と話してくる。私は一人、車でやって来たのに誰か乗っているというのだ。

私も彼の当り前に慣れているので、「あ、あれは秘書ですよ。」と返す、もちろん一切見えないし感じないのだが。

そんなこんなで、この2人を八幡西区某所の古家へ案内することとなった。かなり歴史を感じる建屋だった。築60年以上は経過しているようだったが、佇まいはご夫婦が好みそうな家だった。

棟梁と夫婦を従えて、先頭切って玄関に立つと、家財は故人が逝ってからそのままで、あまりに埃っぽかったため、土足で上がることにした。(相続人には了解済み)

私が、上がろうとした瞬間に棟梁が、「ちょっと待ち!あそこに婆さんがおるけ、俺が話してからにしよう。」

私は、棟梁の言っている意味は良くわかるが、正直、お客様の前ではやめてくれ~という気持ちだった。棟梁は、私の気持ちお構いなしに黙祷して、何やらぶつぶつ言っている。

それが終わってから、「よし、成仏して上がってもらったけ入ろう!」という感じで内覧した。

故人の記憶に想いを馳せる

故人が生前に残したアルバムが何冊もあり、私は案内そっちのけでその古いアルバムに想いを馳せた。人の人生を写真で遡ると、他人ではない気がしてくる。若い時に死を真剣に考えることは無かったが、流石に50代になると明日は我が身という気持ちになる。この故人も当然に青春時代があり、紆余曲折、人生の荒波を越えて来ているに違いない。

ご夫婦も棟梁もこの建物は良いということで、この物件で話を進めることになった。

この家の相続人が相続登記を完了していていなかったので、早速、売買に向けて家と土地の相続登記を司法書士に依頼した。

相続登記とは、故人から相続人へ所有権を移転することをいうが、この相続人が間違いなく相続人であることを立証するため、戸籍を辿らなければならない。

隠し子が見つかる

今回は、1000回に一度のまさか、が起こっていましまった。この故人(お婆様)は、元々新潟県出身であったが、最後はこちら北九州で余生を終えた方らしい。司法書士の調査の結果、その新潟県に、こちらの相続人が聞いたこともない相続人がもう一人いるというのだ。

要するに、お婆様のもう一人の子である。相続人は、60代くらいの男性だが、両親からそんな話は一切聞いたことがなかったらしく、おそらくお婆様がこちらに来る前に離婚して旦那の元に置いてきた子であると予想した。司法書士を介して、相続登記に協力しくれるよう連絡を取ったが、回答は「遺産分与の手続きに応じる気はない」とのことだった。これは、何を意味するのかというと、この家と土地には興味もなく、家が売却できなくなることは、知ったことではないというものだ。

どんな心境なのだろう…。きっと相当の恨みを抱いているのではないだろうかと思わざるを得なかった。母に捨てられた恨みだろうか。

こんな時によく聞く言葉がある。 「私は、絶対に許さない。」

誰かに対して怒りや恨みを抱いた時に、人間の口癖のように出てくる言葉だ。実は、この口癖、私はかなり危険だと解釈している。許さなかったらどうするというのだろう?いつか仕返しをするのか?その新潟県の相続人は、やっとその時が来たということだろうか。結果、北九州の相続人は確かに困ったのだが、彼は知る由もない相手からの仕打ちだった。新潟県の相続人は、相手を困らせたことで恨みが解けただろうか。きっと困っているだろうと想像の域で心の傷を癒そうとしているのだろうが、残念ながら哀れにしか映ってないということまで、俯瞰して自己分析することはできない。

誰しもそんな経験は少なからずあるだろうが、そんな時こそ内観する能力を高めて、許すことを選択する能力があることを人間は知るべきだと思う。残念ながら、その相続人はその機会を喪失して、また死ぬまでに新たな機会に巡り合うことになるに違いない。

結局この物件とは縁がなく、私のお客様夫婦は、土地を購入して新築することとなった。これもまた人生の一つの流れであり、支流は人の選択で様々に分かれていく。

不動産業を通しての学びは、私にとって人格形成の要素として欠かせないものである。私にとって、霊がいようがいまいが関係ない。人間として、どう生きるのか、それが課題である。

さて、ご先祖様に感謝して、線香でもあげに行くとするか。

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