東京駅の奇跡
出張の帰り、東京駅の男子トイレで声をかけられた。
「これ、違いますか?」
振り返ると、そこには自分の鞄があった。置き忘れていたのだ。
声をかけてくれたのは、忙しそうに清掃をしていた若い女性だった。人の出入りが絶えない場所で、彼女は淡々と仕事を続けていた。
これまでも、こうした清掃員の方々に対して感謝の気持ちはあった。だが、実際に言葉にすることはなかった。
まさか、自分が呼び止められる側になるとは思っていなかった。
もしこのまま気づかず、新幹線に乗っていたら…。
現金だけでなく、日常に欠かせないカード類がすべて入っていた鞄だ。想像するだけで、背筋が冷たくなる。
トイレの中で、しかも女性に呼び止められるという状況はどこか滑稽で、それでも、その一瞬の巡り合わせはあまりにも鮮やかだった。
私は思わず彼女の目を見て、声を上げた。
「ありがとう。奇跡だ。」
ようやく、伝えたかった感謝を口にできた気がした。

その後、もう一つの出来事が起こる。
新幹線の乗車列に並んでいると、外国人観光客の女性がホームの隙間に何かを落とした。慌てた様子で一緒に旅をしていた友人達に訴えている。
近づいて聞くと、スマートフォンだった。
旅行中のスマホ紛失。
それは他人事ではない。
発車まで残り8分。
新幹線は待ってくれない。
私は同行していた森大祐に駅員を呼ぶよう頼んだ。彼はすぐに走り出し、ホームの先へと消えていった。
その間、私は彼女たちに状況を説明した。最悪の場合の対応も伝えたが、内心は私も焦っていた。
やがて、大祐が駅員を連れて戻ってきた。
駅員は無言で電話をしながら姿を消し、しばらくして、どこからともなくスマートフォンを持って現れた。
見事な対応だった。
彼女たちの表情が、一瞬で安堵に変わる。その空気に、こちらまで救われた気がした。

そして、さらに小さな出来事が続く。
別の外国人観光客に道を尋ねられ、乗るべきホームを調べて伝えると、彼らもまた、深く頭を下げた。
すべての始まりは、あの一声だった。
一つの親切が、別の親切を呼び、やがて感謝が連なっていく。
ほんの少し優しくなれただけで、こんなにも世界は変わって見えるのか。
ありがたや、ありがたや。