自分の物差しに気づいたとき、人は静かに変わり始める
いつもお世話になっているリフォーム会社の、若い青年社長から声をかけられた。
「最近、ブログ更新してませんよね。」
続けて彼が言うには、彼のお母さんが「社長のひとり言」の愛読者で、しばらく更新がないのを心配して、久しぶりに息子へ電話をかけてきたという。
そして開口一番、「最近、社長さんのブログが更新されていないけど、何かあったのかね?」だったそうだ。(笑)
ありがたいことに、ごく少数ながらも、そんな声を時折いただくようになった。
F君のお母さま、気にかけてくださりありがとうございます。私はいたって元気です。ここしばらく、ありがたいことに慌ただしくしておりまして、執筆に時間が割けませんでした。
これからまた、少しずつ勝手な思いを書き綴ってまいりますので、あたたかく見守っていただければ幸いです。

さて、ここからはひとつ、知人の話をしたい。
彼はとある会社の総務として働いているのだが、私に相談をしてきた時には、すでに「辞めたい」という気持ちが固まりつつあった。
主な理由はもちろん、典型的な“人間関係”。
自分の仕事が評価されないどころか、「役に立っていない」と言わんばかりの空気を、社内のとある人物から日々植え付けられているように感じていたという。
私が何を言っても、彼の辞めたいという気持ちとその流れは変わらないだろう。そう思いながらも、できるだけ寄り添い、あえて私が感じたことを静かに伝えることにした。
彼にも、相手にも、どちらにも“正しさ”がある。
感情を抜いて事実だけを並べてみれば、物事は案外シンプルだ。人間関係でトラブルが生じるとき、必ずと言っていいほど、お互いが“自分の物差し”や“自分の秤”で相手を測ろうとする。
「普通はこうだ」とか、「あの人は変わっている」といった言葉が、その典型である。
けれど、そもそも「普通」という基準など存在しない。そして厄介なことに、それを人はほとんど無意識にやってしまう。
人間関係の問題を解きほぐすには、相手の物差しを見るのではなく、まず自分の物差しを見つめ直す必要がある。
これは簡単ではない。感情をいったん脇へ置き、自分を俯瞰する作業が求められる。
事実だけを丁寧に見つめていくと、彼も相手も、どちらも会社を良くするために努めているだけだった。ただ、お互いのほんの小さな欠点が、自分の物差しでは測れなくなり、秤では重量オーバーになり、計測不能になってしまったのだ。
しかし、冷静に考えれば、それらは本当に小さな欠点にすぎず、その人の価値を決めるものではない。
私が最後に彼へ伝えたのはこうだ。
「相手や環境から逃げることはできても、自分の物差しは変わらない。だからまた、どこかで同じ問題が必ずやってくる。なぜなら、あなたは“変わりたい”と心のどこかで知っているから、その課題を自ら引き寄せてしまうのですよ。」
残念ながら、この葛藤を解決する方法はただ一つ
──自分が成長するしかない。

これは彼に伝えると同時に、私自身への戒めでもある。私自身、まだまだできていないからだ。
もうひとつ、人間関係のトラブルで覚えておいていいことがある。
もし相手が、こちらの望む通り素直に非を認め、謝罪し、和解できたとする。一見うまくいったように見えるが、実際には「相手が成長しただけ」であり、私自身の器は1ミリたりとも変わっていない。
つまり私は、成長の機会をひとつ失ってしまったということだ。
人が本当に求めるべきは、安堵や安定ではなく、自己成長なのだと思う。努力もなく、無条件で問題が解決してしまうのは、むしろ悔しいことでさえある。相手の成長を素直に称賛すべき場面なのだ。
──そして、彼はふたたび会社に残る決断をした。
その選択には、相当な勇気が必要だったに違いない。誰かのせいにするのではなく、自分と向き合う道を選んだのだから。
後日、彼は静かにこう語ってくれた。
「自分の人生には、いつも同じパターンがあったんです。以前の自分なら、きっとあのまま辞めていました。」
彼はそれ以上、多くを語らなかった。けれど私は、彼がその“いつものパターン”にそっと区切りをつけたのだと感じた。まるで、自分が何か成し遂げたとも思っていないような、そんな控えめな表情のまま。だが、あの瞬間、彼はたしかに自分の力で一つの壁を越えたのだ。
私は彼に再び伝えたい。
「あなたはすでに成功者であり、価値ある人です。あなたの選択は、私にも勇気と、“あの時伝えてよかった”という自己肯定感を与えてくれました。ありがとう。」