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社長ブログ

発する言葉に要注意!

かなり昔、20代のネガティブな考え方しかできない時に、ポジティブな発想ができるようになるきっかけとなった話がある。

その一つが、「〜ねばならない。」という言葉についての考え方や捉え方を解説したものだった。

そこでのアドバイスとしては、「〜ねばならない。」「〜したい。」に置き替える習慣をつけるというものだった。

言葉の癖は、習慣となり、人格にも影響を与えるという説があるのは言うまでもない。

繰り返し使う言葉で、良くも悪くも脳は洗脳されていくことを、我が人生で検証してきた結果、妥当な理屈であることを身に染みて感じている。

選択する力

そこで紹介されていた内容の根っことなる考え方が、まず人間には、「選択する能力」があるということだった。

それがどういうことかというと、自分の意思で起こる事象についての捉え方や感情すらもコントロールできるというものだ。

意思という言葉が正解かどうかわからないが、私の感覚では、第三者的な客観的な自分が存在するようなことを意味しているのではないかと思う。それは決して他人でもなく、スピリチュアル的な話をしているわけでもない。明らかに自分自身なのである。

社員に最近起こった例え話をしてみよう。

ある時、お客様に怒られてかなり凹んでいた。私が代わりに、お客様の感じたことや、お怒りになる理由を約60分程聴いたが、社員が責められる理由は、ほぼ見当たらなかった。

おおよそ伝え方や表現の誤りであり誤解であった。だからと言ってお客様も悪くはない。期待していた分、裏切られた感覚は当然あることが理解できた。最後は、逆に感謝していただくほど、もやもやしていたお客様の心を紐解くことができた。

こんなことは、仕事に限らず人間関係ではよく起こることだ。そのほとんどは、誤解である。それは感情に任せて自己主張する言葉によって起こりがちだ。そこには、相手の立場や視点からの考えは一切ない。

人間は感情だけの生き物ではない

ここからが本題なのだが、それはほとんどアドレナリンというホルモンの作用か何かで冷静さを失い、「私は感情をコントロールできません」ということを表現しているに他ならない。

事実とは、とてもシンプルなもので、自身の物差しや量りで測るしか術がなく、その事実が許容量を越えるとアドレナリン放出でつじつまの合わないことが口から出てくる。

果たして人間は、感情の生き物ということで片付けて良いのだろうか?

私は違うと思う。感情は、人生を豊かにするために付与された恵の一つではあるだろうが、人は決してそんな単純な生き物ではない。

感情をコントロールすることができる理性だったりするものが必ず存在する。だから、人それぞれ沸点が異なったりもする。

沸点が低いから問題だとか、人格がなってないとも言い切れない。人はそれぞれに課題があり、それは人の数だけ異なる。

人間は所詮、同レベル

要するに、何が言いたいのか?

私の人について、人間に対しての解釈を述べているに過ぎないのだが、その解釈のおかげで相手を嫌うことがほぼ無い。

むしろその人の課題を心で感じ、共感するに至ると愛おしく思えてしまう。

もちろん、私は不完全人間なので決して愛ある人格者ではないし、そう思ってもらおうとも思わない。

ただ、人間は大変面白く、素晴らしい生き物であるということを言いたいわけだ。

金持ちに見える成功者、逆に生活保護を受けている貧困層の人々。心優しくボランティアに勤しむ人や逆に自分のことで精一杯で、そんな優しい人達を踏み越えて行こうとする人々。

実は、それぞれに課題があり、別の視点からは優劣をつけ難い。人間は、全てどんぐりの背比べなのだ。

自分を疑ってみる

「選択する能力」とは、自分の考え方そのものにも影響を与えることができる力を意味する。

まずは手始めに、自分の感情を疑うという、おそらく慣れない視点をチャレンジしてみてもらいたい。心の奥底に眠る客観的な自分を叩き起こして、感情そのものを自制すると、相手の立場という視点に立つことができるようになるはずだ。

いきなりそんなことができるわけなかろうが!と言われるのもわかるので、外的な要因から攻めることで変化を起こそうというのが、言葉を置き替えるというものだ。

感情の選択

冒頭で書いたことに戻るが、「〜ねばならない。」は、どこまでも感情に支配されている考え方である。自分は、こういう人間だから仕方ないと、選択する能力を放棄した言葉なのだ。

本当にそうしなければならない環境はあるかもしれないが、それをどんな気持ちで行うかは選択することができるはずだ。

私は勉強せねばならない、働かなければならないのではなく、勉強したい、働きたいという感情を持つことを選択できるのだ。

ただし、自分の良心と照らし合わせた結果、不本意で社会的通念から外れることを指しているわけではない。

詐欺まがいなことを、これも仕事だと無理やり自分に言い聞かせて言葉を置き換えても当然良い結果は生じない。

お客様を欺いて利益を得ようとするビジネスに永続性があるわけがない。

あくまでも、自分の中の捉え方について言及しているだけの話である。

こんな話をいつもしている私は、友人や社員達からすると変態としか言いようがないそうだ。

そうかもしれないと最近、客観的に見つめることができ始めている。(笑)

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